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写真記 |
エルズルムのヤクティエ神学校 |
エルズルムはアンカラからイランへと続くアジアハイウェーを中継する東部アナトリアの最大の街。この街の最大の見どころが1310年に建築されたヤクティエ神学校です。エルズルムのシンボルともいえる2本のミナレットを見上げてみましょう。 |
まずは地図で場所を見てみましょう。エルズルムが東部アナトリアにおける中心的な位置にあることがわかるのであはないかと思います。 |
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ヤクティエ神学校はイル・ハーン時代の1310年に建築されました。正面の2本のミナレットがとても印象的です。 |
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「チフテ」というのは「2本」のと言う意味だとか。「2本のミナレット」。見たまんまの名前ですね。中央アジアあたりのメドレセと比べると素朴な感じがします。 |
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この周辺の広場は市民の憩いの場にもなっているようで、ベンチでくつろぐ人をたくさんみかけました。 |
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内部の様子。入り口を背に奥を見る。メドレセ(神学校)らしい造りです。 |
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奥から入り口方向を見る。アーチと2本のミナレットが美しいですね。 |
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2階の回廊から中庭を見下ろすしたところ。神学校として使われていた時代はここでどのような生活が行われていたのでしょう。 |
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内部は多くの花に彩られていますが、それがかえって物寂しさを増しています。なにか全体に殺風景な印象を受けます。 |
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よく見るとアーチを精緻なレリーフが飾っている部分もありました。もともとは内部を多くのレリーフや碑文によって飾られていたそうです。でも19世紀にロシアに占領された際に持ち去られてしまったいるのだそうです。今はわずかに面影が残るだけ。それでもこの建物がこの街のシンボルであることには変わりがありません。 |
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この章終わり |
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