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03 僕がサイトを続ける理由

「らくだの旅行」も開設以来、2年とちょっとが過ぎました。(2003年10月現在)
この間、延べ10万人以上の方にご覧いただき、いくつかの賞もいただき、順調に発展させてくることができたと我ながら満足しています。

でもですね、実はけっこう心の中では葛藤の連続なんですよ、これが。

正直言ってサイトへのアクセスはいくら増えても満足することはありません。50が100になれば翌日には200にならないかなと思うし、200になれば500になることを期待します。ヤフーに登録されたらされたで、サングラスマークが欲しいとか、検索順がもっと上位になって欲しいと思うし、せっかく賞をいただいても、しばらくするともっと他にも賞が欲しくなる。

時々、自分の欲深さが嫌になることもあります。

でもね、これは自然なことなんですよ。

僕は経営管理の勉強を少しだけしましたが、「人間の欲求とは尽きることが無い」これが経営管理、特にモチベーション管理の上では常識です。(だから経営者は労働者に対して小出しにしか与えないのですよ。)

だからサイトを運営し続けても、こうした条件面での欲求が満足することはあり得ないのです。それは世間が悪いのでもなければ、サイト運営者自身の問題でもなく人間の持つ性というか業なのですね。

多くのサイト運営者の方が、ある程度サイトが大きくなって行く過程で疑問を感じて、やめてしまうのはこうしたところにも理由があると僕は考えています。こうした欲求を追い続ければ続けるほどむなしくなるだけなのです。

僕もわかっていながらも、日々、アクセス数の増減に一喜一憂し、新たにディレクトリに加えてもらったポータルサイトを見つけると狂喜乱舞し、コンテストの落選の報に悲嘆し、ヤフーの検索順が下がったことに憤りを感じたりしています。親しい方のサイトが大賑わいで、自分のサイトのアクセス数が減っている時なんかはとても寂しい気持ちになったりもして。

時にはもう辞めようかなどと落ち込んだりもしているのです。

じゃぁ、それでもなんで続けているのか。
それは僕は自分がサイトを続けている本当の理由を知っているから。

その理由とは一言で言えば「共感」です。

僕が良いと思った風景や建物、それを写した写真を見て誰かに同じように良いと思って欲しい。面白いと感じたことに、誰かに同じように面白いと思って欲しい。誰かに同じように感動して欲しいんです。

これは日常生活の中では意外と難しいこと。旅行の写真を見せても、誰もが同じように感じてくれるわけではありません。話をしても全く興味も示さない人の方が多い。でも、世の中には少なくとも僕の周りだけよりも興味を持ってみてくれる人がたくさんいるはずです。

少しでも多くの人にアクセスして欲しいと思ったり、コンテストに入賞したいと思ったり、ヤフーで検索順が上がって欲しいと思うのは、それ自体が目的ではなくて、本当は一人でも多くの人に見てもらって、その中から同じように感じてくれる人が一人でもいてくれれば嬉しいと思うからなのです。

誰かに僕と同じように感じて、「そうだね、私もそう思う」って思って欲しい。そして僕のサイトを通じて同じように思うことができて「よかった」って思って欲しいんです。

つまり「共感」です。

「共に感じる」ってことですね。

こんなに楽しいんだよ。こんなに面白いんだよ。僕はこう思ったんだ。
わ〜それは面白いね。それは楽しいね。私はこんな体験をしたよ。

僕が発信して、誰かがそれに応えてくれる。

当たり前のことですが、こんなふうに誰かと「共感」することができるのは実はインターネットのおかげです。「高度情報化社会」と言われるとなんだか便利さばかりに目が行きがちですが、僕は「情報化」の本質とは、みんなで「共感できること」だと思っています。

「情報」ってなんだと思いますか?

0と1で表現されて、デジタル的に送信される「情報」ってなんでしょう。電子的なもので無機的に感じますがそれを生み出すのはまぎれもない生身の人間です。

「情報」という字は「情」を「報」じると書きますよね。つまり「感情を知らせる」ってこと。そして「感情に報いる」ってこと。

感情のやり取り、それこそが「情報」の本質だと僕は考えています。

大昔は誰かに何かを伝えようと思ったら口伝えでしか伝えられませんでした。せいぜい、壁画に残すくらいしかできなかったはずです。だからごく近い人にしか伝えることができなかったのです。

それが木片や粘土板に書き留められるようになり、パピルスや羊の皮になり、そして紙に印刷されるようになって、より広く、大勢の人に伝えられるようになったわけです。時を越え、場所を越え伝えることができるようになったのです。

でも、実際には大勢の人に伝えることが出来るのは、それを職業としうるごく一部の人だけの特権。もちろん、1対1の手紙や電話のやり取りは可能でも、不特定多数の人に自分の写した写真を見せるなんてことは誰にでも出来ることではありませんでした。

それが情報の電子化と、インターネットの普及で大きく変わったわけです。だれでもが意欲さえあれば時を越え、場所を越え、自分の気持ちを伝えることができる。書いた文章はもちろん自分の写した写真、描いた絵でも、音楽でも電子化することさえできればインターネット上で公開することが出来ます。

夕飯のおかずの事だって、その日にトイレに行った回数だって、なんだって良いのです。
僕は今日こう感じた。私はこう思った。
そんなことを世界中の人と気軽に交わすことができるようになったのです。

一度も会ったことの無い、全く違う環境で育ち暮らす、そして実際には永遠に会うことも無いかもしれない人と、誰もが共感し合うことができる可能性を持つもの。情報化社会とは、時間や空間にとらわれる事無く共感し合える社会なんです。

素晴らしいことだと思いませんか?

今もどこかで僕の写した写真を見て、僕の書いた文章を読んで、同じように感じてくれている人がいるかもしれない。少ないかもしれないけれど、共感してくれている人がいる。

だから、そんなふうに信じられる間は、僕は「らくだの旅行」を続けていこうと思っているのです。




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