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07 二つの「風の谷」を巡って

 宮崎駿監督の名作「風の谷のナウシカ」。高度に発展した産業文明が人類の引き起こした「火の7日間」と呼ばれる最終戦争により滅んだ後の遠未来世界を舞台に、辺境の小国「風の谷」の族長の娘「ナウシカ」を主人公に、文明や自然、環境破壊などについて問い掛けた非常に奥深い作品です。劇場公開映画「風の谷のナウシカ」の方が有名ですが、漫画の方は月刊誌「アニメージュ」で1982年から1994年までの実に13年間に渡って連載が続いた長編で、実は映画は全7巻の単行本のうち、わずかに1巻と2巻の途中までの範囲をアニメ化したに過ぎず、内容も若干異なっています。僕も全巻を持っていますが、内容が濃く、かつ奥深いので、読み返すたびに新しい発見があるし、そもそもボリュームに対して読むのに非常に時間がかかる作品です。

 さて、このナウシカに登場する「風の谷」、実在する場所がモデルになっている、という説があるのをご存知ですか?二つ説があって、一つはオーストラリアのアウトバック、ウルルカタジュタ国立公園内にある「風の谷」と呼ばれる場所。もう一つがパキスタンの辺境の地、かつてのフンザ王国の地です。

 偶然、僕は2003年9月と2004年5月とにそれぞれの地を訪れる機会を得ました。そこで、この二つの地を紹介しながら、この二つの説を検証してみたいと思います。

赤い風の谷

 まずはオーストラリアの風の谷。それはマウント・オルガとも呼ばれているカタジュタという巨大な岩山が削れてできた谷間です。世界的にも有名なウルル(エアーズロック)から西へ約30キロほど離れた場所にあり、現地ツアーなどで訪れることができます。僕も今回、サンセットとバーベキューがセットになった「風の谷ウォークツアー」に参加しました。(左の写真はサンセットの時に撮影。)

 さて、このツアー、最終的にはサンセットを観た後で、夕食にバーベキューを食べるというのが目的になっているので、出発の時間は日の入りに合わせて決っています。この日はだいたい午後2時頃出発。そしてまずはカタジュタの岩山が見渡せる展望台を訪れます。

 このカタジュタというのは大小36個もの岩山の集まり。元は1つの大きな岩盤だったものが削れて複雑な形になっているのです。だから見る場所によって全く違ったものに見えます。

 バスは風の谷へ向かうウォーキングコースの入口に到着しました。早速、巨大な岩山が僕らを見下ろしています。この岩山、そう言えば、映画版のナウシカに出てくる、昔の潜水艦のようにも見えますね。そして、そう、ナウシカといえば「オーム」。巨大なダンゴ虫みたいな生き物が重要な役割を担っていますが、なんとなくオームのようにも見えなくはありません。

 こいつが「オーム」。この人形欲しさにコレクターズセットを買ってしまいました。

 ちなみに上空から見るとこんなふうに見えます。まるで「腐海」から走り出して骸と化したオームの群れのようです。

 さて、肝心の「風の谷」ですが、険しい岩場を転がりそうになりながら1時間ほど歩いていくと、切り立った岩と岩の間から、急に視界が開ける場所に出ます。ここがその「風の谷」。ここでじっとして静かに耳を澄ましているとこの谷を吹き抜ける風の音が聞こえます。

 物語の中での「風の谷」は、腐海と呼ばれる瘴気を発生させる森の近くにある、小さな谷間の小国。そこは海から常に吹き付ける風により腐海が発する瘴気から守られている、という設定です。「風」というのがかなり重要な意味を持っているわけで、そういう意味では、つながりが無くもない、という感じはします。

 さらに「風の谷」の近くには砂漠が広がっているという設定で、物語中にも他に赤い錆の砂漠というものも出てきますが、この周辺はわずかに潅木が生えるだけの砂漠地帯で、しかもその砂の色は真っ赤です。そう考えると、このオーストラリアの赤い大地の「風の谷」がモデルという説、間違いではないのかな、という気もします。

 

青い風の谷

 さて、今度は一転、パキスタン、フンザです。フンザはまさに辺境中の辺境。カラコルム山脈の谷間の氷河によって削られたわずかな平地に広がる村々で、首都イスラマバードからカラコルムハイウェイを通り車でまる2日の行程です。この道路は1978年に多くの犠牲者を出しながらも中国の協力により開通した道路で、パミール高原を越えて中国との交易にも大いに利用されている道です。

 この道をインダス河に沿って北に進んでいくと、桃源郷といわれるフンザはあります。そこはカラコルム山脈の8千メートル級の山々に抱かれた、とても風光明媚な場所です。

 人々はこの土地でイスマイリ派イスラム教を信仰し、土地で取れた食物を中心に非常に質素な暮らしを送ってきました。特に杏はこの地の代表的な食べ物で、実はもちろんタネから採れる油は、様々な形で利用されています。その効用か、この土地の人々は非常に長寿なことで知られています。

 さて、このフンザが「風の谷」のモデルであると考えられているのは、こうした谷間での生活もそうですが、何よりもその服装が「風の谷」の人々とよく似ているからです。一部旅行者の間では、「フンザに行くとナウシカが大勢居る」とまで言われているらしい。

 そう、こんなふうに。

 「青き衣」といい、風貌といいよく似てますよね。ナウシカに。

 このおばあさんもまるで「城ババさま」みたいですね。そもそも「ナウシカ」というのは古代ギリシャの叙事詩、「オデュッセイア」に登場する王女の名前から取られているのだそうです。実はこのフンザの人々は、アレキサンダー大王が遠征してきた時に残ったギリシア系の人々の末裔とも言われています。そういう意味でもなんとなく縁があるのかもしれません。

 村の子供達。ナウシカや風の谷の人たちが着ていたのとよく似た服を着ています。たしかに「ナウシカが大勢居る」というのも肯ける気がします。

 どちらが本当か

 さて、本当のところはどうなんでしょう。宮崎駿監督は、実際にはこのことについては何も語っていないそうで、あくまでどちらもファンの人たちの間で言われている、あるいは旅行関係者の間で噂されているだけの事だそうですが、実際訪ねてみて、少なくともフンザの方は関係ないんじゃないか、という気が僕にはしました。

 最大の理由は、フンザが世の人の間に広く知られるようになったのは実は比較的最近のことで、特に一般の外国人に解放されたのは1986年からなんです。日本のTVで紹介されるようになったのもカラコルムハイウェイが開通した後の1981年が最初です。連載開始が1982年の2月からであったことを考えると、ちょっと時期的に無理があるように思えます。

 それと、もう1つの理由は、フンザの雰囲気です。フンザは長寿の里として知られるように非常に健康的な土地です。地理的には閉ざされた土地でとても質素な生活を送っていますが、そこには貧しさや、死への恐怖というものはあまり感じず、むしろ生の喜びが溢れているように感じます。「風の谷のナウシカ」を読むとわかるのですが、「風の谷」というのは風に守られているとはいえ、すぐそばに腐海が迫ってきていて、人々は常に死と隣り合わせで生きています。「風の谷のナウシカ」自体、滅び行く種族の運命が大きなテーマでもあり、「滅び」とこの土地がどうも僕には結びつかない。まして「風」を連想させるものもあまり無いし。たしかに着ている物は似てはいるんですけど、だからといってそれだけで結びつけるのは無理があるように感じました。

 一方で、オーストラリアの「風の谷」の方は、なんとなく雰囲気的に近いものを感じます。オーストラリア大陸の土地というのは非常に古い大地で、とても貧しい。アボリジニの人たちというのは、その貧しい土地の中から、わずかな自然の恵みを上手に利用して大地と共に暮らしてきたのです。そういう土地の持っている独特の雰囲気、そしてあの岩山の印象、厳しい環境。そうしたものが外見的な違いは多少あっても、なんとなく共通するところがあるのかな、という気がしました。少なくともあの巨大な岩山は、何かしらのインスピレーションを与えるだけの存在感がありますし。「風の谷」そのものはちょっとこじつけのような気もしなくはないですが、カタジュタ全体の雰囲気というのは、なんとなく「風の谷のナウシカ」の土地の雰囲気に通じるものがあると感じました。

 というわけで、もしも「風の谷」に実在するモデルが本当にあるのだとすれば、僕はオーストラリアの「風の谷」の説を支持します。もちろんこれは僕の印象に過ぎないので、感じ方も人それぞれだと思うし、フンザ説を支持する人がいても積極的に否定するつもりはありません。

 もしみなさんも機会があったら、是非、「風の谷のナウシカ」を読んで、この両方の土地を訪れてみてください。そしてそれぞれに「風の谷」を感じ取ってみてください。





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