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写真記 |
イエスの足跡(イスラエル) |
普通旅行へ行くと、ただ見るだけで「お〜」って思える遺跡や建物が必ずあります。ましてや世界中から人が集まる観光地であればなおさらです。でもイスラエルは例外です。ピラミッドのような巨大建造物も無ければ、パルミラのような見事な遺跡も無いです。あるのは聖書の中の世界。 「マリアがお告げを受けた場所」、「イエスが生まれた場所」、「イエスが奇跡を起こした場所」などなど。 知らなければ「何それ?」で終わってしまいます。そこで、聖書の言葉とともにイエスの足跡をたどってみましょう。 |
イエスはロバの子を見つけてそれに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。「恐れるな、シオンの娘。見よ、あなたの王が来られる。ロバの子に乗って。」 |
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イエスは活動の場をガリラヤ地方からエルサレムへ移します。そしていよいよエルサレム入城というときに預言者エレミヤの詩句のとおり、ロバの背に揺られていったのでした。 そしてイエスがオリーブ山の下り坂にさしかかると、人々はこぞって神を賛美する歌を歌ったと言われています。 |
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オリーブ山頂よりエルサレムを望む | |||
当時エルサレムはローマ帝国の統治下にありましたが、この地を治めていたのはヘロデ大王だといわれています。ヘロデ大王は紀元前40年、ハスモン家のアンティゴノスに対する勝利を記念して、この丘の上に豪華な宮殿を建てたと言われています。 |
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ヘロデオン | |||
兵卒たちは、いばらで冠をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫の上着を着せ、それから、その前に進み出て、「ユダヤの王、ばんざい」と言った。そして平手でイエスを打ち続けた。 するとピラトは、また出ていってユダヤ人たちに言った。 「見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである。」 イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った。「見よ、この人だ」 |
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「エッケ・ホモ」とはラテン語で「見よ、この人なり」と言う意味。イエスの審判のときのピラトの言葉に由来しています。 ゲッセマネでユダの裏切りによって捕らえられたイエスを裁いていた提督ピラトは、罪を認めることができず、鞭打ちの上で釈放しようとしましたが、ユダヤ人の民衆の要望により磔にされることになったのです。 このエピソードが、西洋キリスト教社会でユダヤ人が嫌われてきた理由のひとつだと言われています。 写真はエッケ・ホモ教会の前に残るアーチ。135年に建造された凱旋門の一部です。 |
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エッケ・ホモ・アーチ | |||
ここでイエスは十字架を負わされ、茨の冠を被せられ、ローマ軍の兵により鞭で打たれました。 |
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鞭打ちの教会 | |||
教会のドーム天井。茨の冠が描かれています。 |
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鞭打ちの聖堂のドーム天井 | |||
イエスが十字架を背負わされる様子が描かれています。 |
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宣告と十字架の聖堂 | |||
イエスが死刑判決を受けてから十字架を背負って処刑の場所まで引かれていった道は、悲しみの道(ヴィアドロローサ)と呼ばれ、ビザンチン時代から巡礼が行われたと言われています。 写真は第3留と呼ばれるポイントで、最初にイエスが十字架の重さに耐えかねて倒れた場所だと言われています。 |
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第3留 | |||
この場所で聖母マリアがイエスを見たといわれています。アルメニア・カトリックの悲しみの聖母教会が建てられていて、地下礼拝堂にはマリアの履物の跡が残されています。 |
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第4留 | |||
12時になったとき、全地が暗くなって、午後3時まで続いた。そして3時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバタクニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。すると一人が走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう・」それからイエスは大声をあげて息を引き取られた。 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。 |
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イエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘。その丘の上に建てられているのが聖墳墓教会です。 この中はローマ・カトリック、アルメニア、コプト、ギリシア正教など各派が区分管理しています。 |
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聖墳墓教会 | |||
この大理石の板の置かれている場所で、イエスの聖骸に香油が塗られたと言われています。 この台には接吻する人、自分のハンカチで油を塗る人が後を絶ちません。 |
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塗油台 | |||
この地に最初に教会を建てたのは、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナです。彼女は熱心なキリスト教徒で、326年に聖地を巡礼し多くの場所を発掘し教会を建てました。ここでもキリストの墓と十字架の破片を見つけたとされています。 |
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墓の上のドーム | |||
イエスの墓は「復活の御堂」の中にあります。入り口付近は中に入る順番を待つ人であふれかえっています。 |
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イエスの墓入り口 | |||
そして、中にあるイエスの墓です。 |
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イエスの墓 | |||
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」イエスは彼に言われた。「私の子羊を飼いなさい。」 | |||
イエスは死刑執行の翌週に復活されたと言われています。そして弟子たちの前に姿を現し、ペテロに宣託をしました。 イエスは「私の子羊を飼いなさい」と言った後、「私の羊を牧しなさい」、「私の羊を飼いなさい」と告げました。 首位権教会はこのエピソードにまつわる教会です。 |
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首位権教会 | |||
このエピソードの前にイエスと弟子たちはガリラヤ湖で漁をした後、湖畔で食事をしています。その時、テーブル代わりにしたのが写真の岩だと言われています。 |
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首位権教会のイエスの食卓 | |||
イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上っていかれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」 | |||
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この章終わり |
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