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05 エッセイ〜「リセット」〜

 これから紹介するエッセイは、旅をテーマにしたとあるエッセイコンテストに応募して見事落選した「作品」です。(苦笑) まぁ、文の稚拙さもさることながら、コンテストの趣旨からちょこっと外れていたかな。それでも、せっかく書いたモノなので、少しばかり日を当ててあげようかと思い掲載します。内容には一部フィクションが含まれますので、実際の僕のことをご存知の方は深く考えすぎないようお願いします。それではどうぞ暇潰しにでも、お読みください。


リセット


 成田発、マニラ、バンコク経由、南回りのカイロ行き。実に20時間を越える長旅。6年前、もう二度と乗るまいと思ったフライトに、僕は今また乗っている。

 この便で初めてエジプトを訪れたのは新婚旅行。いくらハネムーンでも、この長時間、狭いエコノミーの座席にぴったりと並んで座り通しというのはさすがに苦痛を感じる。数えることさえ嫌になる回数の食事が出た頃には、「次にエジプトに行く時には、ロンドン経由でエジプトへ行こう。」そんなふうに彼女と話していた。ロンドンで何泊かして、大英博物館でミイラの棺のコレクションとロゼッタストーンを見て、それからエジプトへ飛ぶ。エジプトでは今回は訪れない紅海のリゾートにも行こう。ギザでは部屋からピラミッドが見えるホテルにも宿泊しよう。それはきっと素敵な旅になる。いつかまた二人でそんな旅をしよう。いや、子供がいたら子供も一緒がいい。家族みんなでまた来よう。そんなことを話しながら長旅の残りの時間を過ごしていた。まだ初めてのカイロに到着してもいないのに。

 そもそも新婚旅行の行き先として最初からエジプトを考えていたわけではない。初夏のカナダを列車で横断するという実に常識的で爽やかなハネムーンを計画していたのだ。少し前にカナダを新婚旅行で訪れたばかりの友人から、それがいかに素晴らしかったかという話をさんざん聞かされていた彼女はカナダへの憧れを募らせていた。もちろん僕にも異論は無く、ガイドブックや旅行雑誌を読みあさり、頭の中がカナダの美しい自然への憧れで一杯になった頃、二人でカナダ旅行専門の旅行会社を訪れたのだった。そしてその日、その旅行会社は臨時休業だった。

 「縁が無いね。」

 揃って仕事を休んで訪れた二人の口からは同じ言葉が漏れた。意気込みたっぷりに訪ねて来ただけに、余計に拍子抜けしてしまったのだ。恨めしそうに電気の消えたビルの窓を見上げる彼女に、「いっそのことエジプトにしない?」と聞いてみた。意外にも彼女からは迷うこともなく「いいよ」という返事が返ってきた。なぜエジプトなのか、と聞かれても答えられない。その時、僕の頭に唐突に「エジプト」が浮かんで来たのだ。後から考えれば彼女の返事も何で「いいよ」だったのか不思議だ。彼女が憧れていた新緑のカナダと灼熱のエジプトとではあまりにも違いすぎる。とは言え、もともと歴史が好きだった僕にとっても、そしてイギリスで育った彼女にとってもそれは決して不自然な行き先では無く、やはり若い頃にエジプトを訪れたことのある彼女の母親もすぐに賛成してくれた。友人や親戚からは不思議がる声も聞こえてきたが、きっと素晴らしい想い出になるに違いない。僕も彼女もそう確信してこのフライトに臨んでいたのだった。

 エジプトは僕達の期待を裏切らなかった。それは実に想い出深い旅となった。特に南部の街、アスワンの素晴らしさは筆舌に尽くせない。なにしろ古くはカエサルとクレオパトラが蜜月を過ごした地。数千年の時を超え古代から今に残る巨大な神殿の数々。色とりどりのスパイスの香りが溢れる夜のスークの喧騒。全てを焼き尽くすような強烈な太陽の日差しの下、砂漠にぼんやりと漂う蜃気楼。小説や映画から想像するだけだった世界を、五感の全てを使って感じながら、彼女と二人、歩いている。緩やかにも力強く流れるナイル川の川面でファルーカに揺られながら時の流れを感じていると、このナイルの流れと同じように二人の時間も永遠に続いていくようにさえ思えた。少なくとも、この日のことをこれから二人一緒に何十年にもわたって思い返すことができる。独りではなくて二人で。そんな幸せを感じずにはいられなかった。

 あれから6年。僕は今、独りであの日と同じ便でカイロに向かっている。ファルーカの上で永遠に続くとも思った二人の日々は半年前に終わりを迎えていた。彼女と一緒にあの日のことを振り返る事は、もう二度と無い。

 今回の旅は同じこの飛行機の中で彼女と語り合ったような素敵な旅行ではない。それは人生をリセットするための旅。自分自身をリセットするための旅。新しい人生のスタートを切るための旅なのだ。もちろんコンピュータゲームのように人生をやり直すことなどできない。フロッピーディスクを初期化するように、あのアスワンでの想い出を消し去ることもできない。それでも僕はエジプトを訪れることから始めようと思った。独りでエジプトを訪れなければ前には進めない。エジプトを訪れることでしか自分をリセットできない、そんな気がした。

 なぜ、と聞かれても答えられない。その時、僕の心にエジプトが浮かんだのだから。6年前のあの日と同じように。




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