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06 ホジャを知ってますか?

 「ナスレディン・ホジャ」という名前を聞いた事がありますか?たぶん、トルコを訪れたことのある人なら、旅行中に一度はこの名前と、彼のお話を聞いた事があるのではないかと思います。僕もホジャのことを知ったのは、最初のトルコ旅行の時。たしかガイドさんがホジャの可笑しなお話を紹介してくれて、その後、たまたまお土産物屋さんで日本語訳のホジャの本を見つけて買って帰ったのでした。

 ナスレディン・ホジャは日本でいうとちょうど一休さんみたいな存在です。一休さんのとんち話と同じように、ホジャ、彼はおじいさんですが、さまざまなとんちで時に窮地をしのぎ、時に大活躍をし、そして毎日の暮らしを幸せに過ごす、トルコの人々にとって、「理想的なおじいさん」なのです。「ホジャ」というのは日本語で言えば「〜先生」というような、聖職者に対する尊称です。昔は(今でもそうですが)、イスラム社会では教育はモスクでホジャのような人によって行われていました。つまり、ホジャは神の教えを人々にわかりやすく説明する立場だったのです。ちょうど一休さんが、仏門に帰依していたように。

 ナスレディン・ホジャは13世紀にアナトリアで生まれアクシェヒルという街で暮らしたと伝えられています。でもホジャの話の中には14世紀に活躍したティムールが何度も登場することから、正確なことはわかっていません。それでも、ホジャは広くトルコ系の人々に愛され、今も世界各国でそのお話の翻訳本が売られているくらい人気があります。もしまだホジャを知らない人がいるとすれば、その人は人生の楽しみを一つ知らずに過ごしているのではないかと、僕は思います。そんなわけで、まだ知らない人のために、ちょっとだけホジャのお話を紹介しようと思います。


ごちそうを食べた上着


 
その日、ホジャは街の人たちと一緒にハリルさんの家に食事に招待されていました。ホジャは一日中ブドウ畑で畑仕事をした後だったのですが、時間に遅れそうだったので、家へ帰って着替えをせず、畑からそのままハリルさんの家へ向かいました。そしてハリルさんの家に着くとロバを庭の木につないで、いそいそと家の中へ入っていきました。ちょうどご馳走がはじまるところで、ホジャは上機嫌で他のお客に愛想よく話し掛けました。ところがホジャはしばらくして奇妙なことに気が付いたのです。ホジャが話し掛けると、誰もがホジャを無視してむこうを向いてしまうのです。誰もホジャの話を聞いてくれる人がいなかったのです。

 そのうちに、さらに奇妙なことが起こりました。召使がスープを持って入ってくると、主人のハリルは客をテーブルへ案内したのですが、ホジャのことは知らん顔なのです。ホジャは何度も咳払いをしてハリルの注意をひこうとしましたが、ハリルはホジャのことを気にもとめません。

 ホジャは声を張り上げてハリルへ話し掛けました。「ハリルくん、君の畑のブドウはとても立派だね。君の一番小さなブドウでも私のブドウの倍の大きさがある。大したものだよ。」
 それでも美しく着飾ったお客たちをもてなすのに忙しいハリルはみすぼらしいホジャのことは知らん顔です。ホジャは周りを見回しました。みんな一番上等な服を着て、顔もきれいに洗ってピカピカに光っています。ところがホジャは継はぎだらけの服を着て、しかも今日開けたばかりの穴まで開いていました。

 ホジャはこっそりハリルの家を抜け出すと、ロバをひいて家へ帰りました。そして奥さんのファティマに湯を持ってこさせると、体をきれいに拭い、新しい服と靴を身につけると、よそ行きのターバンまで頭につけました。そして見違えるように立派に着飾ると、急いでハリルの家に引き返したのです。

 着飾ったホジャが堂々とハリルの家へ入っていくと、子供達は丁寧にお辞儀をし、召使もうやうやしくホジャを食堂へと案内しました。そしてハリル本人もニコニコ顔で現れると、一番の上席にホジャを案内したのでした。他のお客たちもかわるがわる手を差し出して、ホジャに挨拶をしに来ます。

 ハリルは早速、たくさんのご馳走をホジャの皿に盛り、みんなもホジャに話を聞こうとして集まってきます。やがてホジャはみんなの注目が自分に集まっていることを確かめると、一番美味しそうな肉を一切れつまみあげ、それをなんと、上着のうちポケットに入れたのでした。肉だけではなく、ピラフ、チーズ、イチジクが、次から次へと上着のポケットへと放りこまれていきます。「さぁ、たくさん食べろ、上着君。たくさんたべろ。」ホジャはそのたびに上着に話し掛けました。

 お客たちはあまりの出来事に、ポカーンと口をあけてただ見ているだけです。そしてとうとうたまりかねて、ハリルが言いました。「ホジャさん、いったいどうしたのですか!上着にむかって、食べろ、食べろ、なんておっしゃって。いったいどうしたというのですか。」

 「だってハリル君、君は私の服にご馳走を食べさせたいと思っているのではないのかね?」ホジャは無邪気にハリルを見ながら言いました。「私がさっき、汚れた服を着ていたら、君は私をテーブルに案内してくれなかったね。ところが、よそ行きの服に着替えたら、どうだい。今度は大層なおもてなしじゃないか。ということは、君が呼んでくれたのは私という人間ではなくて、私の服だったんじゃないのかい?」

参考文献:岩波書店「天からふってきたお金」アリス・ケルジー文、岡村和子訳



 いかがですか。ちなみに上の写真はウズベキスタンの村はずれで見かけた、畑仕事帰りの老人とロバ。ホジャもこんなふうな風体だったのでしょうかね。さて、もう一つ、僕の大好きなお話を紹介します。この話は載っていた本が行方不明で、ストーリーの核心しか覚えていないのですが、それは人が生きていくということを考える時、非常に明快な答え、なのかもしれません。それは、ホジャがお菓子を村の子供たちにねだられた時のお話・・・。

神様の分け方

 ホジャは子供達に訊ねました。「おまえたち、神様の分け方で配るのと、人間の分け方で配るのと、どっちがいいかい?」

 子供達は答えます。「もちろん神様の分け方だよ」

 するとホジャは、ある子供にはたくさん、また他の子供には少しだけととても不公平に分け与えました。少ししかもらえなかった子供達は不満そうにホジャに言いました。「なんでこれが神様の分け方なんだよ。」

 ホジャはニッコリと笑って答えました。「神様ってのは不公平なもんなんだよ。」




ホジャの像に戯れる子供達 ウズベキスタン ブハラにて

 残念なことに、今日本では、手軽に読めるホジャのお話の本はあまり出ていないようです。(上記の本は数少ないホジャの本ですが小学校低学年向けで2000円くらい。) でももっともっと楽しいお話がたくさんあるので、もし図書館などで見かけたらぜひ読んでみてくださいね。



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